「心臓の鼓動に合わせて生きる」壮絶な人生を送ってきた路上パフォーマーの常識に囚われない生き方

「こんな面白い人に初めて会った」

待ち合わせのカフェに現れた彼は黒いスーツを着た笑顔の印象的な青年だった。物腰が柔らかい彼が、まさか路上でパフォーマンスをしているとは、はじめ想像もつかなかった。

彼の話を聞いてみると、彼の人生は想像を遥かに上回るほど壮絶だった。今の彼の優しさに溢れた笑顔の裏にはこんな過去があったのか。いつの間にか夢中になって、前のめりになっている自分がいた。

彼が放つ言葉には、彼が人生を通して積み上げてきた重みがある。どこか人間離れしていて、それでいて心を突き動かしてくる彼の話は気づけば2時間を超え、カフェを立つ時には僕自身が彼の物語の虜になっていた。

TKエンターテイナーがどんな思いで人を笑わせたいのか。エネルギーに満ちた彼の原動力の源泉はなんなのか。世界中の路上でパフォーマンスを続ける彼の生き様とこれからについて。できるだけ本人の言葉をそぎ落とさないように綴った。今何かに悩んでいる人、これから何かに挑戦しようと思っている人。そんな人にぜひ読んでほしい。

インタビュー・文:勝俣泰斗
写真提供:TKエンターテイナー


略歴

T.K.エンターテイナー | T.K. Entertainer

本名は中村鷹人。通称ダックマン。母は元ヤンキー、父は無職のできちゃった婚という家庭で、母からの虐待に遭い、幼少期は病院・孤児院で育つ。12歳からお笑い養成所の吉本ジュニアに通う。大学卒業後は、シドニーに留学。2017年トロントで活動。現在は、お笑い芸人、俳優、ミュージシャン、マジシャンなど他にも数多くの肩書きを持つマルチアーティスト。海外では、旅をしながら路上で演奏するダックマンとして、ダンス、歌、そしてバケツドラミングをして世界中のストリートやステージでパフォーマンスを行う。多彩な才能を持つ彼のパフォーマンスは、NYでも数々のメディアや新聞に掲載され、今注目のエンターテイナー。

スタンダップコメディアンを目指して海外へ。サバイバルな留学生活。

ーーTKさんは現在、海外を拠点にエンターテイナーとして活動していますが、もともと海外に興味があったんですか。

もともと12歳から18歳までの6年間、吉本興業のNSCジュニアっていうお笑い養成所に通っていてコンビを組んでいました。本来なら、NSCジュニアは18歳までなので、その後は本格的に養成所に行くという通常のルートなんですが、もっと自分の芸の幅を広げたいと思って大学に進学しました。

大学では心理学を勉強していたんですが、日本人だけでなく海外の人の心理ってどうなってるんだろうって思ったことから海外に興味を持ち始めました。「心理学で学んだこと」×「お笑い」でスタンダップコメディアンとして海外で活躍したいと思って、シドニーへの留学を決意しました。

ーースタンダップコメディアンを志していたんですね。シドニーでの留学生活はどんなものだったんですか。

大学の成績は良かったんですけど、英語からは今までずっと逃げてきたっていうのがあって、英語力はゼロだったんですよ。TOEICは990点満点中180点だったんで、英語力ゼロの状態からのスタート。正規留学ではなくワーホリのビザをとって、3ヶ月の短期留学で語学学校に通ったんですが、最初のクラス分けのテストでは悲惨な結果でした。当然、5つあるクラスの中でも一番レベルの低いエレメンタリークラスからスタートしました。一番レベルの低いクラスから、一番レベルの高いアドバンスクラスまで上がるには、半年から1年はかかるって言われたんですね。教科書が13タームに分かれていて、それを全部終わらせないと上に上がれないと。「ビザが有効な3ヶ月の間でアドバンスクラスに上がりたい」ってみんなに言ってたんですけど、同じ語学学校の日本人にも「3ヶ月じゃ絶対に無理」って超馬鹿にされました。そこの語学学校には、先に入ったやつが偉いみたいな変な序列もあって、当時そこに8ヶ月通っていた長みたいな人にも「俺は8ヶ月いるけど、1回クラスが上がったけど、また下がった。今は上にすらあげてもらえない。上に行こうなんて思わないことだな」みたいなこと言われて(笑)

でも特例があって、テストで100点を3回連続で取り続ければ上のクラスに上がれるっていうのを聞いていたんです。それで必死こいて3ヶ月勉強したら、本当に全クラスで全部満点を取れたんですよ。それで当初の計画通りアドバンスクラスまで上がることができました。

ーー有言実行して、トップに上り詰めたんですね。それでスタンダップコメディアンになるほどの英語力は上達したんですか?

英語は最初よりは格段に喋れるようになりました。ただ、その時に気づいたんです。「英語が喋れたからって何も変わらない」って。スタンダップコメディアンになりたいとは思ってたんですけど、僕の他にも英語が喋れて面白い人はたくさんいるので、「僕である必要がないな」って思ったんです。自分の求めてる立派な人間像に届くにはまだまだだなと。

急遽、家を失いホームレスへ。T.Kエンターテイナー・ダックマン誕生秘話。

ーーそこから路線変更をして、現在の路上パフォーマンスをすることになったきっかけはなんだったんですか?

シドニー留学を初めて2ヶ月くらい経ったある日、当時使っていたキャッシュカードがATMに飲み込まれてしまってお金が引きとせなくなったんです。その時、右ポケットに手を突っ込んだら6ドルしか入ってなくて。「あ、死んだ笑」みたいな。とりあえず家に帰ったんですが、部屋にあった小銭を集めてもせいぜい10ドルくらいしか手元に残っていませんでした。そんな時に、ホームステイしてたホストファザーがガンになり、仕事をやめてニュージーランドに帰るからこれ以上泊まれないと言われてしまったんです。それも家を空ける3日前に突然言われたんですね。

それで急遽、学校のインターネットで家を探すことになったんですが、圧倒的に安い物件があって奇跡的に月10ドルで泊まれる場所が見つかったんです。Wifiも電気もシャワーもない家だったんですが、大家さんのところに行ってすぐに契約しました。

ーー家賃10ドルって・・・。そこ家なんですか?笑

大家さんに聞いてあとあと知ったんですけど、実はそこは犬小屋だったんですよ。大きい家の入り口を開けたすぐ横にあるスペースだったんですけど、リードをくくるリングみたいなのもあったりして(笑)大家さんも「人間が泊まるところじゃないよ」って驚いていたんですけど、「大丈夫です」って言って10ドル渡して住み始めました。

TKさんが当時住んでいた家

ーー手持ちが10ドルしかなかったってことは、もう無一文ですよね?ご飯とかってどうしてたんですか?

まず、学校で無料で紅茶が飲めるんですよ。ミルクとかココアの粉も無料なんで、水9ココア1の割合でスープにして飲んだり。他には、90セントで買えるパンが一斤あったんですけど、それを公園でかき集めたお金で食べていました。おかずもなしで食べてた僕を見た学校のみんながおかずを恵んでくれてました。家に帰ってもシャワーもないので、近くの公園でシャワーを浴びて、ついでに落ちてるお金を探す毎日。

ーー完全にホームレスじゃないですか!

そうですね(笑)でも、そんな生活はさすがにきつくて、どんどんやせ細っていったんですよ。7キロくらい体重落ちてやっと「このままだと死ぬな」って思ったんです。その時にふと「このまま死んだら誰が気づいてくれるんだろう。」、「誰が自分の存在を知ってくれているんだろう。」って思いました。同時に、「こんなんじゃダメだ!死ねない!」って。

そこで、僕は「死ぬ前に誰かを笑わせたい。そして驚かすようなことをやってやりたい。」って思い始めたんです。これは自論なんですが、人を驚かせるためには、自分も驚かせないとダメなんです。自分が「これくらいで人は驚くだろう」って思ってやったものでは、絶対人を驚かすことなんてできないんですよ。逆に「今から俺これやるの?いや、あり得ないわ!」って感じるようなことをして、やっと人に「君すごいね」って思われるレベルで届くんですよ。自分で強い感情を持ってからじゃないと、僕は人にそれを渡せないんです。

自分がやったことのないこと、自分でも考えもしなかったことはなんだろうって突き詰めた結果、次の日から公園でバケツドラムを始めることにしました。

ーーその決断にも驚きですね。「誰かバケツドラムをやってる人がいて、憧れて・・・」っていう訳でもなく急に始めたんですね。

はい。でもそれが文字通り自分でも驚くことでした。実は、もともと音楽をやっていたんでギターもできて、ベースもできるんですけど、そんな楽器を買うお金もなかったんで、公園で見つけたバケツを選びました。

バケツドラムを始めて初日。最初は普通の格好をして叩いていたら、公園を通りかかった親子が「お金をどこに入れればいいの?」って聞いてきたんです。僕は、死にかけてるから死ぬ前にひと花咲かせてやろうという気持ちで始めたので、「え!?これでお金もらっていいんだ」と驚きました。その親子は2ドルを渡してくれて去ったんですが、その時にお金を貰った以上プロとして自覚を持ってやろうと決意しました。それからも演奏を続けると、気づいたら初日でその日のご飯を食べれるくらいは稼げていました。僕は、「バケツドラムで生きていける!完璧だ!」と思って、すぐに今と同じ黄色いスーツを着て、プロのバケツドラマーとして活動を始めました。

ーーバケツドラマーとしてのTKエンターテイナー・ダックマンの誕生ですね。ダックマンとして衣装を着て活動されてますが、そのきっかけはなんだったんですか?

もともとは、僕が臆病者だったので、臆病者でも頑張るぞって意味を込めてチキンマンって名前で始めたんです。黄色いニワトリの格好をしてチキンマンになったんですが、演奏を観ている周りの人がダックマンって呼び始めたんで、名前を変えたんです。(笑)

ABOUTこの記事をかいた人

taito.katsumata.hoteling@gmail.com

勝俣泰斗 HOTDOG TIMES共同編集長。大学2年次に、ニューヨーク州立大学を成績不振で退学。帰国後の2年間、旅企画の引率や東京のゲストハウスの運営を経て、同大学に再入学。好きな食べ物はホットドックかと思いきや、ハンバーガー。