メジャーアルバムリリース目前!本場NYで活躍するヒップホップアーティスト

NYで活躍し、いま着実にその名声が高まっている、ヒップホップラッパーのR-naby。彼の初メジャーアルバム『THE R-NABY ALBUM』に先がけて、R-nabyに楽曲提供をしているDJ Kaz Sakumaも交え、独占インタビューを実施した。

(記事の内容は取材時のものに基づきます)

文/HOTDOG TIMES編集部 草島叶実
写真提供: R-naby、DJ Kaz Sakuma

略歴

R-naby

1989年、京都生まれ。18歳でラッパーとしての初ステージを踏む。日本での精力的な活動を経てUniversal Music LLCと契約後、アーティストビザを取得し24歳でNYへ渡る。HIPHOPライブコンテストでは4回の優勝を果たし、HOT 97主催イベントへの出演、Def Jam Recordingsプライベートイベントへの出演など幅広く活躍。2017年6月には日本人ラッパーとして初めて、NYのヒップホップクラブ・SOB’sにてミュージックイベントを主催。同年3月にメジャー契約を果たし、7月には『Can’t Stop My Squad』EP盤をリリースしデビュー。その後も『Why So Cute?』『On The Way』など、これまで全5作を発表。今年1月にはNYCDレコーディングス会社を設立、7月には全米放送のさくらラジオにて自身の番組『Can’t Stop My Radio』が放送スタート。初メジャーアルバム『THE R-NABY ALBUM』を今年10月20日に発売予定。

DJ Kaz Sakuma

1975年、宮城生まれ。高校卒業後、シドニー滞在中に初めてDJを見たことをきっかけに、DJの技術を学び活動を始める。帰国後も仙台を中心にDJとしての活動を続け、三人組ヒップホップユニット・夜光虫を結成しメジャーシングルデビューを果たす。夜光虫の2001年の解散を経てDJとして独立、BBSプロダクションの下でクラブDJとして活動を続ける。2006年にはミックスCDシリーズ・パーティーロッカーズ vol.7 (KSR)に選出され、CDは8000枚を売り上げた。2008年に上京、DJ KOYAに1年10ヶ月ほど師事したのち、2010年12月にNYへ渡る。現在はマンハッタンのクラブでのDJ活動に加え、自宅兼スタジオにて日常的にトラック制作をし、R-nabyはじめとするミュージックアーティストへ楽曲を提供している。

ヒップホップとの出会い

ーーお二人がヒップホップの音楽活動を始めたきっかけを教えてください。

R-naby (R): 俺ははじめDJになりたくて、16歳くらいからクラブでDJやってたね。でもぜんっぜんセンスなくて、一年でやめた。けど、当時DJやってたやつに、俺がバックDJやるからラップやればいいじゃん、て言われてラップを始めたんよ。そしたらちょうどその時の先輩が初めてイベントをやるってことになって、それに出ることになったから、急遽インスト曲(ボーカルなしの曲)に自分の歌詞をつけたものを3曲作って、R-nabyとしてデビュー。それが18歳の時やな。

Kaz Sakuma (K): 僕は、高校卒業後にワーキングホリデーでシドニーに行ってたとき、友達が初めてクラブに連れて行ってくれたのがきっかけかな。成人の年齢じゃなかったから、そいつと一緒に年を適当にごまかしたりして行った(笑)。そこのクラブでDJを初めて見て、すっごいかっこいいな、と。その友達の兄さんがそこのクラブで働いてたから、あのDJ紹介してくれ!ってすぐその兄さんに頼んだ。で、そのDJが仕事終わるのを待って紹介してもらって、どうやってDJやるのか教えてほしいってたのんだんだよね。そしたら、その翌日に配線のつなぎ方から何から一通りおしえてくれて。それで、日本に帰った後もDJを続けるようになった、って感じ。

地元から東京への進出、NYへの挑戦

ーそこから渡米するまでは、ずっと日本で活動されていたのですか?

R: そうやね、24歳で渡米するまではずっと日本で。21歳で京都から上京して、自主制作で7枚くらいCD出したり、海外アーティストのフロントアクト(コンサートの前座)も色々やったな。有名なところでいうと、アイス・キューブ、チンギー、TI、DJ BATTLECAT、M.O.P.など。あとは日本全国34か所をツアーでまわったり、京都でワンマンライブしたり、東京でもハザードワンマンライブをやったね。そのワンマンライブをやり切って、24歳の時にニューヨークに来た。

K: 僕は、シドニーから日本に帰ってきて1年後くらいに、本格的にDJとしての活動を始めた。地元の仙台のクラブで知り合った友人二人がラップをやって僕がDJをやるってことでヒップホップユニットを結成して、しばらくしたところでメンバーの一人が大会に勝手にエントリーしてたんだよね。あわてて練習して大会に出たら、間違って北日本地区で優勝しちゃった。(笑)

次は東京で全国大会があるってことで、また急いで練習して東京に行ったけど、そこでヒップホップ界の第一線で活躍しているすごい人たちの実力を思い知ったね。もっとちゃんとやらなきゃだめだと思った。その後、僕らのユニットはポリドールレコードから話を持ちかけてもらって、メジャーシングルデビューもしたんだけど、結局2001年に解散。そこから僕はクラブDJとして独立したという感じ。

R: 2001年てことは17年前か。Kazさんはやっぱキャリアが長いね。俺は11年くらいやけど、Kazさんは20年くらいあるからな。

K: EBSプロダクションというところから僕に依頼があって、クラブDJとして活動するようになった。そこで頑張ってやってたら、2006年に当時有名だったミックスCDシリーズ・パーティーロッカーズ のvol.7 を僕が出せることになって、それが8000枚売れたの。全国のツタヤにも並んだよ。

R: 今じゃ考えられないよね。当時でも3000枚売れたらすごいって言われてたし、今だったら1000枚売れたらいいほう。8000はすごい。

K: ここまでは仙台が拠点だったけど、2008年に上京。こういうのって多分、都会でないとだめだなって思って。でも、東京のヒップホップ界は新入りが入り込む余地がなかった。東京もなんか違うなと思い始めて、すぐニューヨークに行くことを考え始めたね。でも、日本ヒップホップ界のレジェンド・KOYA さんのもとで付き人として学ばせてもらった。プロ意識の塊のような人だったから、とても厳しかったんだよね。くじけそうにもなったけど、ちゃんと一年間、日本でKOYAさんに付いて活動してた。それでやっと師匠の許しを得て、2010年の12月にニューヨークに来たんだよね。

R: アーティストで本気でやってる人って、そういうところしっかりしておくのは大事やね。出る前と出たあと、どうけじめつけるか。アーティストの人間性って、見ててわかるからな。

K: どうせ行くなら、逃げるように行くよりも、一年ちゃんとやってから、師匠に頑張れよって言われて行く方がいいよね、ってこと。

R: Kazさんの話聞いて、 俺もなんか思い出したわ。何かをやりきってから行きたいっていうのすごい分かる。俺も21の時に東京出てきて、2年間そこで頑張って、最後の東京のハザードワンマンライブで「俺は絶対ニューヨークでなりたい自分になる、じゃないと帰らない」って言ってから来たから。みんなに約束してから行くって決めて、東京でも思ったより活動できたからニューヨークでもできんじゃね?っていう根拠のない自信に溢れてたね。だからこそ言ったことは全部やってきたし、そのおかげで今があるし、これからも夢は叶えていくし。この俺でもできたんだからお前にもできるよっていうのを、特に若い人たちに伝えるのが、ラッパーとしての俺の使命やと思う。

本場NYでの活動:プライドを捨てて、チャンスを取る

ーーお二人はどのように知り合ったのですか?

R: ニューヨークで知り合った。4年半くらい前にたまたまクラブで出会って、そこからだね。その時はお互い仕事もあんまりなかったし、なんだかんだしょっちゅう会ってた。俺はまだオープンマイクも多かったから、大きいイベントに出る時はKazさんにDJを頼むようになった。

で、ある時オープンマイクの次のステージのショーケースに出られることになって、そこからR-naby with DJ Kaz Sakumaとして、1年間くらい一緒にやったな。そのあとKazさんもDJが忙しくなってきてたから、ある時からR-nabyソロで動いてKazさんにはプロデューサー側に回ってもらう、っていう感じになって。そこから今のスタイルで来たって感じだね。

ーー最初ニューヨークに来たときは、どのように活動場所を見つけていったのでしょうか。

R: 俺はアーティストビザをすでに持ってる状態できたからビザは問題なかったんだけど、初めての海外で英語できなかったのがやっぱりすごい大変やった。三ヶ月くらい経つまではオープンマイクの存在も知らなかったからな。でも、オープンマイクというものがあって、それが誰でもサインアップすれば出られるシステムのものだって分かってからは、毎晩サインアップして出てた。ニューヨーク最初の1、2年は特に、とりあえず出られるものには出たいっていう衝動で動いてたし。一晩で3ヶ所出てた時もあったな。本当にオープンマイク尽くしだった。4ヶ月目にはニューヨークで初ライブさせてもらえて、そこから毎週月曜日はパフォーマンスさせてもらってたな。

K: 僕ははじめ、語学学校に通って学生ビザで滞在しながら活動の場所を探してた。DJバッグ持って、夜な夜なクラブを回って、呼ばれてないパーティーに行って、回させてもらえないかって頼んで、っていうのをやってたかな、ずっと。そしたらある時、Lower Eastのホテルのラウンジで一時間だけやらせてくれたところがあったから、そこからは呼ばれてもないのに図々しく毎週行くようにしたんだよね。また来たよ、って(笑)。そのうち、いつもちゃんと来てちゃんとやるから、信頼されるようになったね。
あとは、師匠KOYAさんの兄弟子がすでにニューヨークにいて、かなり有名なDJだったから、その人が仕事かぶった時のカバーで入らせてもらったりもしてた。最初に頭を下げてやらせてさえもらえれば、あとはかましてやるだけ。いろんなところ行って常に実力を見せるようにしてれば、自然と次につながる。だから、とにかくいろんな場所に足を運んでチャンスを拾うようにしてきた。

R: そうそう。みんなプライドが邪魔するけど、けっこう探しに行けばチャンスってあるし、ちゃんと活動ってできるんだよな。みんな自分が大したことないことに気付きたくないから、頼みに行くとかなかなかできないんよ。

K: 自分が(現時点での立場的には)大したことないってことを一回認めて、それでチャンスをもらった時にはスキルを見せつける。そういうふうに、僕も自分を広げてきたしね。

現在の活動、これからの目標

ーーお二人とも多方面で活躍されているとは思いますが、現在の主な活動はなんですか?

R: 今回のメジャーファーストアルバム以外でいうと、俺はショーケースには月15本くらい出て、日本人ラッパーとして初の、全米で聴けるラジオ番組もやらせてもらってる。歌詞も書きたい時にいつでも書くようにしてるね。

K: 僕は、基本的には自宅兼スタジオで楽曲制作をして、マンハッタンで週に3−4回のペースでDJしてます。トラック制作は日常的に、メモ作りのような感じでやってる。そうやってストックしておけば、R-nabyなどのアーティストに依頼された時にすぐ曲が出せるんだよね。もう明日にでも出せるような曲が、5-6曲くらいあるよ。

R: メジャー契約して2年経って次の新曲で6曲目出すことになるんやけど、普通はこんなんありえないもんな。ふつう1年に1曲がやっと。でも俺らは、いつでも曲を出せる環境を築き上げたからな。
あと重要なのは、俺のこの活動が全部セルフプロデュースってところやね。よく、メジャー入るとマネージャーがついたりするとか思われるんやけど、いやマネージャーなんかいねぇよ、って。

K: 契約すると、けっこう会社に操作されることって多くて。こういうふうに売り出したいからこういうふうに振舞ってくれ、とか。それが一切ないからね。

R: ヒップホップはあくまで自己主張の音楽やから、それをやっちゃうと嘘になるし、ヒップホップじゃなくなるのよ。Universal Musicの流通だけ使わせてもらってセルフプロデュースで好き勝手させてもらえる環境ってすごく珍しいし、本当そこは感謝してるね。

ーーここまで長い道のりだったと思いますが、これからのさらなる目標はありますか?

R: まずはもちろん、メジャーファーストアルバムの成功に力を入れること。でも、お金にとらわれず、これからもかっこいいものだけを見せていきたい。かっこいいライブして、かっこいい生き方して、かっこいい音源を作る。これが最大の目標やな。

K: 僕は、目前のファーストアルバム、その先のコラボ作品、そして年明けのセカンドアルバムに全力を注いでいきたい。プロデューサー業も拡大しつつ、責任感を忘れずに活動を続けていきたいね。

R: あとはやっぱり、もっとがっつり売れて、アーティストグリーンカード取りたいな。何言ってんだ、って思われるかも知らんけど、いまこの時点のところまで来たこと自体も、そう言われてきたことだったし。俺はできるっていう、これもまた根拠のない自信があるね。やるって言ってやらんやつはいっぱいおるけど、俺は絶対やるから、と思ってる。

今、伝えたいこと:プロとして、人として

ーー忙しく活動を続けている中で、気をつけていることはありますか?

R: やっぱりパフォーマーとして体は気をつけなあかんと思って、週4回は欠かさずジムに行ってるし、食事も意識するようになったね。睡眠も大事やからできるだけ気をつけるようにしてる。あとは、メジャー契約した後くらいから特に、気持ち的に中だるみしそうになることもあるから、その時々襲ってくる甘い気持ちの自分に打ち勝つこと。これがすごく大事やね。安心感こそ、本当の恐怖やから。

K: 特にアメリカは病院代も高いから、僕も食事とか歯磨きとかのベースを気をつけるようにはしてるね。あとは、とにかく毎日トラック制作をすること。曲を出すから作るのではなくて、日常的に曲を作る意識を常に持ってる。毎日やっていくうちに作業スピードも早くなるし、続けてやっていくことで発見もあるから、すごく大事なことだと思う。

ーーいま一番感謝している人、尊敬してる人がいたら教えてください。

R: これはやっぱりまず、DJ Kaz Sakumaだね。人間としてもキャリアの面でも大先輩やと思ってる。それからもちろん、ここまでやりたいことをやらせてくれた家族。家族が俺のやりたいことを反対したことはないね。ほんと感謝してるよ。そして、Universal Musicのスタッフと、曲を購入して応援してくれている全てのお客さんに感謝やな。

K: もちろん、R-naby ですね。メジャーから楽曲を出せる環境を持ってきてくれたのは彼だし。それから、現在のビザのスポンサーであるTop40 Lifestyleにも感謝。彼らのおかげで、今はDJの仕事だけで生活できてるわけだから。ニューヨークで音楽活動だけでやっていけるようになった今、プロ意識はさらに高く保っていきたいと思ってるよ。もう以前には戻りたくないしね。

ーー最後に、この記事を読んでいる学生や若者に向けて、アドバイスなどあればお願いします。

R: 一番は、絶対にあきらめないでほしい、ってことやな。あきらめないことが、一番大事。自分の気持ち次第で、夢って絶対に叶えれると思う。18でラップ始めた時なんか、まじでメジャーなんて考えてもなかったし。それが今ここまで来て、俺めっちゃワクワクしてるもんな。いま何かを目標がある人には、ぜひその夢を叶えて、その気持ちを感じてほしい。こんだけ楽しくなってきたら、人と喋っててもネガティブなこと話さなくなるしな。俺も、早くニューヨークで一番になりたいし、もうその準備はできてると思ってるから。

K: あとは、俺らみたいにニューヨークで生きてたら、本当にいつチャンスが回ってくるかわからない。だから、それを逃さないように日頃から準備しておくことだね。いざチャンスが来た時に、「ちょっと待ってください」ではなくて、「そんなこともあろうかと思ってもう準備してあります」て言えるくらいの意識でいることが、特にこのニューヨークの街では重要。

R: 大きなチャンスであればあるほど人ってビビるけど、それをしっかり逃さず掴んでいけるように、若い人には頑張ってほしいね!

ーーお二人ともお忙しい中、本当にありがとうございました!

-Information-

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-R-nabyのラジオ番組『Can’t Stop My Radio』はこちらのさくらラジオホームページより

-R-naby メジャー1stアルバム 『THE R-NABY ALBUM』2018年10月20日(土)発売!

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草島 叶実 (くさじま かなみ)  ニューヨークのPurchase Collegeでダンスを学ぶ大学生。ダンスやアートがもつ、言葉を超えたコミュニケーションの魅力を追求している。即興ダンスや、様々なジャンルのアーティストとのコラボが大好き。将来ニューヨークでプロのダンサーになるため、今できることは何でもするスタンス。

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草島 叶実 (くさじま かなみ)  ニューヨークのPurchase Collegeでダンスを学ぶ大学生。ダンスやアートがもつ、言葉を超えたコミュニケーションの魅力を追求している。即興ダンスや、様々なジャンルのアーティストとのコラボが大好き。将来ニューヨークでプロのダンサーになるため、今できることは何でもするスタンス。