【NYアーティストインタビュー】メトロポリタンオペラの舞台で活躍するダンサー

こんにちは、HOTDOG TIMESライターの草島叶実です。

今回は、激しい競争を勝ち抜いてアーティストビザを取得し、現在ダンサーとしてニューヨークで活躍している、亀井彩花さんにお話を伺いました。

略歴

亀井彩花 | Ayaka Kamei

愛媛県松山市出身。3歳より立脇紘子バレエ研究所でバレエを習う。アジア国際パシフィックコンクールファイナリスト。イギリスのノーザンバレエスクールでコッペリア、くるみ割り人形、白鳥の湖で主役を演じ、首席卒業。その後、ニューヨーク州立パーチェスカレッジのダンス科に進学、A President Award for Achievementを受賞し、最優等で卒業。大学在学中には交換留学のプログラムに選ばれ、オランダのCodartsで勉強する。2016年のSpringboard Danse Montréalにも選出され参加。これまで数多くのバレエ・モダン・コンテンポラリーの振付家の作品を踊る。現在メトロポリタンオペラバレエ、ニューヨークシアターバレエなどの舞台、また自身のスタジオAKDanceで活動。2017年、愛媛県文化協会より地域文化奨励賞を受賞。ダンサーとしてだけでなく、ゲストアーティスト、振付家、教師、コラボレーターとしてアメリカや日本で幅広く活躍している。

インタビュー&文:草島叶実
写真提供:亀井彩花

ダンスとの出会い

Photo: Ezra Goh

—ダンスを始めたきっかけを教えてください。

3歳の時、車で5分のところにあったスタジオで姉がバレエをやっていたので、一緒に始めました。でも、実は10歳くらいまではあまり楽しくなかった。レッスンを頑張りすぎたのか、肩に力が入って血行が悪くなって、いつも偏頭痛に悩まされていて。楽しくなかったけどやめなかったのは、単に負けず嫌いだったからだと思います。(笑)

— 最初は踊るの大好きというわけでもなかったんですね!10歳頃から楽しくなってきたのはどうしてですか?

まず、偏頭痛が治った!(笑) あと、地元の四国バレエコンクールに出させてもらえるようになって、できなかったことができるようになっていくのが楽しくなってきたんです。ライバルも増えて、負けたくないからもっと頑張って、そしたらまたできることが増えて。そんな、昨日の自分に打ち勝っていくような感覚が好きでした。

イギリスのバレエ学校入学、カンパニー入団

Photo: Ted Kivitt

—その後、イギリスのバレエ学校へ入るまではどのような経緯があったのですか?

中学二年生の時に、カナダで行われていたバレエのサマースクールに行って初めて外の世界を見てみて、もっと世界を知りたいと思うようになったんです。のちに高校に入りましたが休学して、東京で一人暮らしをしながらバレエのオープンクラスを受けていました。その時、たまたまイギリスのバレエ学校を4つくらい受けられるオーディションツアーを見つけて、イギリスにオーディションを受けに行きました。それが受かったので、高校を中退してその学校に入ることに決めました。

— 高校中退とは、なかなか思い切った判断ですね。家族からの反対はありませんでしたか?

家族から反対された覚えはなくて、ただただ応援と激励の言葉をたくさんもらいました。でも祖父母や親戚は反対していたので、父と母がすごく守ってくれたような感じです。父はどちらかというと、我関せずというか、好きなことやればいいんじゃない、というスタンス。母は、昔やりたいことをもっとやればよかった、という後悔のようなものが自分の中にあったみたいで。私には気が済むまで好きなことやらせてあげたい、と思ったようです。いつでも帰ってこれるように準備はしといてあげるから、やれるまでやりなさい、って言ってくれました。

— いいお母様ですね…! イギリスにはどれくらいいましたか?

学校自体には、3年間行きました。入学前に2か月ほど語学学校のようなところに通ったのと、卒業後にオーディションを受けたりカンパニーに入って踊ったりしていた期間もあるので、それを含めると3年半くらいです。

— 卒業後はイギリスのカンパニーに入ったのですね!オーディションはたくさん受けたのでしょうか?

現地に行って踊るオーディションとビデオや書類を出すオーディションがあったので、合計すると一年の間に100個以上受けたと思います。イギリスの他にも、ヨーロッパを中心にドイツ、イタリア、フランス、オランダなどのカンパニーのオーディションもたくさん受けました。

— 100個も!!それを経て入ったカンパニーはいかがでしたか?

お給料はあまり出なかったし、ちゃんとしたビザもなくて、おそらく観光ビザで滞在できる6か月ほどの契約で、みんな踊っていました。それでも、やっとダンサー人生が始まる!と思うと嬉しかったですね。ただ、その後に大変なことが起こってしまって…。カンパニーのディレクターがお金を持って逃げちゃったんです。それで、私が入って3週間でカンパニーが潰れてしまいました。

失意の中で日本へ帰国、新たな転機

Photo: MorDance/Kelsey Campbell

— 100個以上のオーディションを経て働き始めたカンパニーが3週間で…、それは辛いですね。

もう、ダンサー向いてないなって思いましたね。星がまわってないな、って。精神的に落ち込んでしまって、そこからまたオーディションを受け続ける気持ちにとてもなれなくて。母も帰って来なさいと言ってくれたので、日本に帰りました。そこから半年ほどの記憶はありません。本当にショックが大きすぎて何もできませんでした。おそらく何もしていなかったから記憶がないんでしょうけど。

でも、しばらくしてヨガに出会って、本当に救われたんです。母が行っていたホットヨガに連れて行ってもらって、だんだんヨガなら面白いな、好きだなって思うようになりました。それで、ヨガのインストラクターの資格を取るため、スタジオLAVAというスクールに通い始めたんです。

— その状況から、NYの大学を目指すようになったのはどうしてですか?

ある時、やっぱり踊りやってないと楽しくないな、って思う自分がいることに気づいたんです。それに、私その当時は中卒だったわけですよ。中卒じゃ何にもならないから、とりあえず大学に行きたい、となったんです。イギリスに行く前に高卒検定は取っていたので、大学に出願する資格はあった。大学を卒業すれば、社会的に、中卒よりは聞こえがいいかなって。(笑)

でも、日本の大学への出願は大変そうだし、行きたい学部もない。じゃあ、せっかくイギリスにいたぶん英語ができるんだから、海外の大学に行けばいいじゃないか、と。

そんな時に、留学したい人のための、HIUC (ヒューマン国際大学機構) という英語スクールを見つけました。そこのクラスはすごく宿題が出るし、授業中はゼッタイに英語で話さないといけないしで、すっごく大変。ヨガのコースと重なっていた半年間は、毎日3時に寝て6時に起きる生活でした。

そのHIUCが、SUNY(ニューヨーク州立大学)とコネクションが深かったんです。そこで目に付いたのがPurchase College。マンハッタンに近くてダンス学部があるな、じゃあ受けてみようか、って。その時、もう二年くらい踊っていなかったので、2回くらいバレエのオープンクラスを受けに行って、オーディション用のビデオを撮って、そこに出願しました。

NY州立大学Purchase Collegeでの4年間

Photo: Ted Kivitt

—それで、晴れてPurchase Collegeに合格し、ニューヨークに来たわけですね。最初に来たとき、どう感じましたか?

はい、それが2011年の夏です。なんかこう、受け入れてもらえる!って思ったかな。誰も私のこと気にしないな、って。イギリスやドイツにいたときは周りに白人が多かったけど、ニューヨークってやっぱり本当に人種のサラダボウルで、色んな人がいる。私、ここをホームって呼べそう、って思いました。

— 大学生活で印象に残っていることはありますか?

入学当初の時期のことですね。入学前に2年のブランクがあったので、初めはもう全然踊れなくて。脚を上げた状態で全くキープできず、というか、そもそも上がらなくなってしまっていました。最初の数ヶ月は笑うしかなかったです。でも、そんな状態でも心から楽しかった。やっと戻ってこれたんだ、って。なんか、第二の人生だ、と思いました。

あと余談ですが、私は同学年の子たちよりも4つも5つも年齢が上だったので、気持ちとしてはクラスのおばあちゃん的存在でした。(笑)

— なるほど(笑) でも、卒業するときにはPresident Awardを授賞されましたよね。入学時にそんな苦労があったとは、とても意外に感じました。

初めはバレエはそんな感じだったけれど、8か月くらいやったら、やっと調子は戻ってきました。ただ、モダンのグラハムテクニックは人生初で、本当に劣等生だったと思います。頑張るんだけど、バレエのフラットバックに慣れてしまった私には、グラハムは本当に難しかった。でも、とにかく頑張ってはいたから、先生たちがそれを見てくれていたな、というのは感じますね。

私はもともとバレエしか知らなかったから、モダンやコンテンポラリーよりもやっぱりバレエが得意になって、大学内の公演でもバレエのポアントの作品にばかりキャスティングされていました。だから “アヤカはバレリーナ” っていうイメージが先生たちの間でも強かった。

でも、そんな私が、卒業公演の時には、ばりばりのコンテンポラリーのソロ作品を踊ったんです。普段バレエのイメージばっかりだった私が、靴下でシャーっと滑り出てきたのを見て、特にモダンダンスの先生たちは、ああ頑張ったな、って思ったんじゃないかな。(笑) バレエで育った子が、パーチェスで変わったな、って。

(↓卒業公演作品「Reset」。演技終了後はスタンディングオベーション!)

卒業、OPT、アーティストビザ取得へ

Photo: MorDance/Kelsey Campbell

— 卒業後は、またオーディションをたくさん受けたのでしょうか?

卒業後というより、卒業する前からオーディションはどんどん受け始めていました。他のみんなもそうですが、4年生の終わりは、ほぼ毎週末オーディションに行っていましたね。バレエカンパニーもコンテンポラリーのカンパニーも、何でも受けました。

そして、メトロポリタンオペラ(以下、メット)のオーディションが4月ごろにあって、合格の電話が来たのが、何と5月の卒業式の前日。(笑) あれは本当に嬉しかった。ちょうどゴミ捨て場にゴミを捨てた直後に知らない番号から電話が来て、出てみたらメットのボスで、「2つプロダクションあるけどやりますか」って。「はい」って言って電話切った後、すごい勢いでとび跳ねて、たまたま通り掛かったパーチェスの知らない子に「何があったの?」って訊かれちゃいました。「仕事が取れたよー!」って言ったら、一緒に喜んでくれました。

— ドラマチックな思い出ですね!その後は、アーティストビザを取得する手続きに専念されたということですか?

アーティストビザ取得のため、資料集めに必死でしたね。7月からOPT(オプショナル・プラクティカル・トレーニング)を始めて、他のカンパニーのオーディションも受け続けていました。メットのプロダクションの他にも単発の仕事をたくさん見つけて、とにかく出来ることは全部、なんでもやりました。ちょっとでもプログラムに載れたら何でもいいと思って、割に合わない仕事もとにかくやったな。

ニューヨークシアターバレエでくるみ割り人形を踊ったのもその頃で、1つの舞台でスペインの踊り、雪の精、花のワルツの3役こなしていました。これで1日3回公演の日は、時は本当にキツかった。でも、このカンパニーは小規模ながら長い歴史のある、かなり名の知れたカンパニーだったので、やってよかった。アーティストビザを取る時、弁護士の人には、メットとニューヨークシアターバレエあるから大丈夫だね、って言われました。

そして、Chen Dance Centerでクラスを教え始めたのもこの時期です。ここも40年くらいの歴史あるスタジオで、ディレクターの人もダンス界のいろいろなコミュニティに入っている方で、結構知られている人なので、ビザ申請の時に明記しました。

— アーティストビザ取得のためには推薦状も大事だと言われていますが、彩花さんはどのような方々から推薦状をもらいましたか?

自分が働いていたカンパニーのトップの人たちや、ジュリアード音楽院ダンス科とつながりのある人たち、Springboard  Montrealに携わっている先生などから書いてもらいました。自分の職場のトップの人たちや大学の先生たちが名前の知られている人たちばかりだったので、私は本当にラッキーでした。

でも、もし周りにそういう人がいなくても、名の知れた先生のオープンクラスに通って仲良くなっておくとか、ダンス関係のインターンをして顔を覚えてもらうとかすれば、きっとみんな推薦状は書いてくれるんじゃないかと思います。ニューヨークは特に、人とのコネクションが本当に大切ですね。

— さらに、アーティストビザ取得には弁護士がほぼ不可欠ですよね。彩花さんは弁護士探しはどうされたのですか。

私はそこは本当にラッキーで、選択肢は1つだったんです。なぜなら、メットに、ダンサーをしながら弁護士もしている人がいたから。つまり、ダンサー兼、弁護士だったんですね。

その人自身も移民なので、移民のつらさを分かっている、メットのことも分かっている、ダンサーのつらさも分かっている。もう、この人しかない、と思いましたね。本当はほかの弁護士と比べたりした方が良かったのかもしれないけど、私は早くビザを取りたかったからもうそこで決めてしまいました。1月に第一回目のミーティングをして、ビザが下りたのは半年後くらいでした。

— ちなみに、弁護士費用にかかったお金はどれくらいでしたか?

まず、準備費が3000ドル。それでビザ申請に必要な資料をファイリングしてもらって、もし追加の資料提出を求められたら、追加で500ドルかかります。私は追加の資料が必要なかったので、これはかかっていません。でも、ビザが無事に下りたら、弁護士に600ドル追加で支払います。

弁護士さんに払うお金とは別に、USCIS filing feeが325ドル、AGMA (American Guild of Musical Artists) への支払いが250ドル。そして、私はビザ申請から15日で、すぐに合否の返事が来るの手続きを選んだので、さらに1225ドル。通常の返事は3-4か月くらいかかります。

私の場合は、これら全部合計で5400ドルくらい。追加資料の請求が来ていたら、6000ドル弱かかっていたことになりますね。そのお世話になった弁護士さんによると、今は私が申請した時よりももっと審査が厳しくなっているので、さらに値上がりしているそうです。

NYでダンサーとして生きる: 後悔しない、第二の人生

Photo: Matthew Willman

— 現在もダンサーとして幅広く活躍している彩花さんですが、何か気をつけていることはありますか?

私は、イギリスから帰ってきて記憶が半年間くらい飛んだ時期があったから、あのつらかった頃には戻りたくない。だから、毎日ハッピーでいること!かな。怒ってたって、楽しくないし。

それから、人に優しくすること。隣の人にちょっと優しくするとか、電車では自分の荷物は膝の上にちゃんと持っておくとか、おばあちゃんがいたら気遣うとか。(笑) どこで誰が見ているか分からないから、そういうちょっとしたことがちゃんとできているようにしよう、って思ってます。

私にとっては本当に、今がすでに第二の人生みたいなものだから、後悔は絶対にしたくない。これからも、人とのつながりを大事にしながら、いつ死んでもいいっていうくらい、毎日、一生懸命、生きていたいです。

— 今日は楽しいお話から有意義なお話まで、本当にありがとうございました!

こちらこそ、こういう話を他の人に話すことは今まであまりなかったので、お話できてよかったです。ありがとうございました!

編集後記

彩花さんとお話した印象は、自信に満ちていると同時にとても謙虚。しなやかな芯の強さを持った、人を惹きつける魅力のある素敵な方だなと思いました。自身の辛い経験談からちょっと突っ込んだお金の話まで、親切に丁寧に答えてくださって、本当にありがたかったです。

私は何度か彩花さんが踊っているのを直接見たことがあるのですが、彩花さんの踊りからも、その優しさと、凛とした強さが伝わってきて、目が離せなくなります。

皆さんも、ぜひ情報をチェックして、彩花さんの舞台やクラスに足を運んでみてくださいね。

亀井彩花
Facebook: Ayaka Kamei/AKDance

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ABOUTこの記事をかいた人

Kanami Kusajima

草島 叶実 (くさじま かなみ)  ニューヨークのPurchase Collegeでダンスを学ぶ大学生。ダンスやアートがもつ、言葉を超えたコミュニケーションの魅力を追求している。即興ダンスや、様々なジャンルのアーティストとのコラボが大好き。将来ニューヨークでプロのダンサーになるため、今できることは何でもするスタンス。