【NYCD recordings 独占取材】DJ Kaz Sakuma チャート17位、KAKKE チャート4位、R-NABY ジャピオン表紙。その舞台裏とは

2018年の秋、HOTDOG TIMESの独占取材に応えてくれたヒップホップラッパーのR-NABYと、DJ / 音楽プロデューサーとして活動するDJ Kaz Sakuma。あれから2年経った現在、さらに活躍を続ける彼らはいま何を思い、この2020年をどのように生きているのか。NYCD recordings から今年11月にデビューした新人アーティスト・KAKKEも交え、再び独占取材に応えてもらった。

(記事の内容は取材時のものに基づきます)

文/HOTDOG TIMES編集部 草島叶実
写真提供: R-NABY、DJ Kaz Sakuma、KAKKE

DJ Kaz Sakuma「Session 1」制作に至るまでの経緯

ーーまずは11月にリリースされたEP「Session 1」について、Kazさんに伺っていきたいと思います。こちらの3つの収録曲をつくり始めたのは、いつ頃だったのでしょうか

Kaz: EPの中で2曲目になっている「A Woman」に関しては、去年の9月ごろにはデモの音源がすでにできていたんだよね。フィーチャリングのSongfulSoul Voice on Streaming Sitesさん(以下、Voiceさん) の録音も、今年の1月には終わっていた。だけど、僕が多作な人なのもあって、じつはその後しばらく、その曲を作ったことをずっと忘れていた (笑)。 それである日、Voiceさんから「あの曲はどのタイミングで出すのか」聞かれたときに「あぁ…あったね、そういえば…」と思い出した、っていうかんじで。その後、Voice さんからも R-nabyからも、いつ出すんだ、と聞かれ続けてプレッシャーをかけられていた (笑)。

ーーそんなに前からあったのに、じつは放置されていたと(笑)。

Kaz: 作ったのを忘れたまま半年以上も時間が経っていたし、そのままボツにしようかと思ってたくらい。(笑) だけど、改めて聞き直したら「あれ、これもしかしていいんじゃない…!?」と思えてきて。それで、さらに手直しをして、R-NABYには個別でヴァースの部分をレコーディングしに行ってもらった。R-nabyのヴァースはまだ撮っていなかったからね。それでやっと「A Woman」が完成形になった。

ーーほか2つの収録曲、「La La La」と「Reality」についても教えてもらえますか

Kaz:「La La La」は、NYでのロックダウンが解除され始めたころに作った曲。これも色々あって、もともとはちがうアーティストにフィーチャリングしてもらう予定の曲だった (笑)。 ちょっとブッキングの時に色々あって、結局はT-Howardさんにヴァースに入ってもらったんだけど、結果オーライだったと思う。最終的にすごくいい曲ができたからね。「Reality」 に関しては、最初にデモを20曲くらい作って、その中からいろいろ考えて、ようやくできあがった1曲なんです。だから、これに対しての思い入れは半端じゃないね。

R-NABY: あと、本当はこれ、5-6曲入りのEPを出す予定やったんよね。

Kaz: そうそう。最初は、ユニバーサルミュージックというレーベルから以前出した曲も3曲含めて、新曲と合わせて計5-6曲入りのEPにしようという話だった。けれど、ユニバーサルミュージックからすでにメジャーで出ている作品を、自分たちのNYCD recordings というレーベルで出すということが、著作権の関係でできないということが分かって。そしたら新曲の3つだけ入ったEPにして出そう、という話にまとまって、今回のような形になりました。

「インターナショナル」な、世界に届く音楽

R-NABY: 今回のKazさんのEPは、インターナショナルなEPにしたいというのもテーマとしてあって。いつもは日本の人に向けて曲をつくることが多いんだけど、今回はもっと国際的に広く届けることを意識したね。

ーー具体的には、どのようにしてインターナショナル性を出していったのでしょうか

R-NABY: 一番でかいのは、アメリカ人のアーティストを起用するというところなんよ。言語も英語になるから、世界中の人に届くしな。いかにアメリカ人を巻き込んで作品を作っていくか、っていうところ。そうすることで、作品が自然とインターナショナルになっていくんよ。

Kaz: ブッキングするだけじゃなくで、実際にレコーディングまで漕ぎつけて作品にする、というのがいかに大変で、どれだけすごいことか。それを実現させた行動力というのは、ぜひ評価してもらいたいところかな。

「順位」というプレッシャー

ーー新曲を世に送り出すときの心境というのは、どのようなかんじなのでしょうか?

Kaz: 曲を自分で作ってレコーディングして世に出す、という一連の流れはもう何度も経験しているので、そこに関しては感覚が麻痺していて、特別な思いとかはもう一切ないんだよね。あまり良くないことかもしれないけど(笑)。ただ、今回に限っては、やっぱりちょっと意味が違ったね。コロナ禍ですごく大変な中でもこうして曲を出せた、というところで。でも、曲をリリースするときよりも、そのあとのチャートの順位が出るまでの方が、落ち着かなかったりするかな。

ーーリリースの瞬間ではなくて、そのあと順位が出るまでの間の方がどきどきすると。(笑)

Kaz: 今回ね、リリースされた後にR-NABYからメールが来たんです。朝の9時くらいに。「Kazさん、これ20位以内に入らないと話が変わってくる」とかって。(笑)

R-naby: ははは、これホンマやで。「Kazさんこれ、今回けっこう制作費もかかってるんやから」ってプレッシャーかけてやろうと思って。(笑)

Kaz: チャート順位の反映が遅かったんですよ。日本とは時差もあるしね。リリースから半日経ったあたりでも全然のびていなくて、世の中からはどうでもいいと思われてるんだなと思った。

ーーそれはもう気が気じゃないですね…(笑)

Kaz: 本当に。だけど、そのあとさらに数時間経って、日本の人たちも起きる時間になってきて、時間差で徐々にみんな買い始めてくれて。そのあとにチャート17位って出て、安心しましたね。

R-NABY: ヒップホップ音楽のチャートはかなり激戦区やから、本当に大変なんよ。20位以内に入るというのは、人気曲としての一つの基準みたいなところがあるやろ。音楽番組でも、よくトップ20とか出てきたり。だから20位以内に入る、っていう結果をしっかり残せたのは大きいよな。

コロナ禍で作り上げた、「完全自主制作」の音楽

ーーこのコロナ禍で世界中が大変な中で、こうして活動を続けているというのは、すごいことですよね。

R-NABY: 特にニューヨークは生活するだけで大変だから、その中で余裕を持って、曲作ってレコーディングもして、曲をちゃんと出して、コロナ禍で厳しい中でも資金力をつけれてきた、っていうのはでかいな。

Kaz: コロナ禍で、みんな精神的にも追い詰められるじゃないですか。生活するためにお金を稼がないといけない、とか考えないといけないから、余裕がなくなってくる。たぶん、他のみんなは正直曲をつくるっていう心境じゃない。そういう中で、自分が何をするべきなのか、自分のパッションとは何なのか、そこを忘れずにいることって大事で。だってね、この状況で、ひたすら自分を信じて、稼ぎになるかどうか分からない曲をデモ曲を作るって、すごいことなんですよ。

ーーそういう意味でも、このEPをまとめ上げた達成感というのは特別ですよね

Kaz: 今回は本当に自力でしたね。NYCD Recordings という、自分らのレーベルから出しているし。

R-NABY: 昔はな、俺も大手レコード会社に憧れてたんよ。だけど、そこでやっていくのがだんだん恥ずかしくなって来た。レコード会社に所属するって、人の下で動いてるっていうことやからな。それって俺の性格的にも、ヒップホップ的にも、なんか違うんよ。こうやって自分らでやる方が楽しいな。自立の精神っていうのはヒップホップのルーツやし。

Kaz: ここまで全部を自力でやったのは、初めてだよね。

R-NABY:100パーセント、完全自主制作やからね。自分らのレーベルから出してるから、他のどこのレコード会社も噛んでない。やり切ったよね。

新人アーティスト・KAKKEとの出会い

ーーそして、KAKKEさんの新曲も、このたびNYCD recordings からリリースされたとのことですが、KazさんやR-NABYさんとはどのようにして知り合ったのでしょうか

KAKKE: サンディエゴの大学を2018年12月に卒業した後に、ジャズ音楽のツアーガイドの仕事を見つけたのでニューヨークに来ました。だけど当時は、ニューヨークにいる音楽関係の人を全然知らなくて。誰かいないかな、とインターネットで日本人アーティストを検索したら、KazさんとR-NABYさんが出てきたんです。そこから、Kazさんのインスタグラムをすごくチェックするようになって。それで、今年の5月に、Kazさんが「ホテルの会場でDJの仕事をします」という内容の投稿を見つけて、Kazさんに会いに行くためにそのホテル会場に行きました。

ーーそんな出会いだったとは…!ソーシャルメディアも意外と見られているものですね

Kaz: そう、知らない間にストーカーされたみたい。(笑) DJの仕事が終わって、さっさと帰ろうとしていたんだけど、急にだれかに呼び止められて。疲れているところだったしさ、なんかドキッとするじゃん。

KAKKE: そうなんですよね、その時Kazさん本当に疲れてて、話しかけた直後に、うわぁこれ申し訳ないなぁって思いました。(笑)

Kaz: うん、彼女待ってたし、早く帰りたかった。(笑)

KAKKE: でも、やさしくて、話もさせてくれて、ありがたかったです。

Kaz: その時に俺がKAKKEに言ったのは、「R-babyは、オープンマイクから始めてたよ」って。「そういうふうにコツコツやって活動していっていたら、いずれどこかで会うだろうから。…じゃあな!」っていう感じ。(笑)

R-NABY: なんでKazさんのとこに最初に行ったん?おまえシンガーなら、まず俺のとこに来ればええやん。

KAKKE: ちょっと近寄りがたいっていうのはありました。(笑)

R-NABY: まぁそりゃあるよな。(笑) カズさんの方が話は聞いてくれそうな雰囲気あるし。

KAKKE: それに、KazさんとR-NABYさんがつながっているっていうのはすでに分かっていたので、KazさんとつながったらいつかはR-NABY さんともつながれるかな、という期待はありましたね。

Kaz:で、ほんとにつながったね。一年くらい時間差で。(笑)

ニューヨークにて、試行錯誤の日々

ーー大学卒業後にNYに来てから、KAKKEさんはどのような活動をされてきたのでしょうか?

KAKKE: 僕もいろいろ試行錯誤していました。仕事をしながら、2週間に1回くらいはマンハッタンの Cafe Wha? というお店で開催されているオープンマイクに行ったり、アポロシアターのアマチュアナイトにも挑戦しました。

アポロシアター「アマチュアナイト」とは
ハーレムにあるアポロシアターで開催されるアマチュアナイトは、1934年に始まったいわゆるプロではない、アマチュアの歌手やダンサーが出演するプロへの登竜門的イベントです。過去にはマイケルジャクソン(ジャクソンファイブとして)やスティーヴィーワンダー、ローリンヒルやビリーホリデイ、ダイアナロスなども出演しています。
毎週水曜日に開催され、優勝者は観客の拍手で決まります。上位入賞者は1ヶ月に1度行われる「ショーオフ」に出場することが出来、さらに上位入賞すれば3ヶ月に1度の「トップ・ドッグ」に出る事が出来ます。それをさらに勝ち抜けば11月に「スーパー・トップ・ドッグ」と呼ばれる年間チャンピオンを決める大会に出場することが出来ます。
(New York navi より 引用)

ーアマチュアナイトに挑戦したのはいつ頃ですか?

KAKKE: 去年の10月です。そこで初めて、大勢の観客の前で歌うことができました。ただ、ブーイングを受けて終わりましたが…。でも、あんなふうに沢山の人の前で歌うという経験ができたのは嬉しかったですね。あのアポロシアターで歌を歌ったんだなぁと思うと、やっぱり特別で。いい経験にはなりました。

ーーオープンマイクやアマチュアナイトで色々な挑戦をして、Kazさんにも会いに行って。その後、R-NABYさんとはどのようにつながったのですか?

KAKKE: まず、Kazさんから久しぶりにメッセージが来たんです。

Kaz: あるときR-NABYと話してて、若手アーティストを発掘したいね、という話になったんですよ。

R-NABY: ラーメン屋でKazさんと話してる時に、そういう話になって。NYCD recordingsから誰か出したいってなった時に、誰かいない?ってKazさんにきいたら、一人いるって言うんよ。

Kaz: 最初は、心当たりないなぁと思ったけど、あれちょっと待てよ…そういえば一人いるかも…って、KAKKEのことを思い出したんだよね。

R-NABY: パンデミックの影響でライブができない時期が続いてたから、その分なにかできないかなと思って、俺の中でもすごく考えてて。時間はあるから、何か他の見せ方はないかなって思ってたんよ。それで、Kazさんに「とりあえずメッセージ送っておけばいいんじゃない」って。むこうがもし興味があるって言ってきたらやろうか、ってな。

KAKKE: じつは、コロナで動けないから、ぼくは正直日本に帰ろうかと考えていた時期だったんです。そこでちょうど、Kazさんから「NYCD recordingsから正式に自分の曲を出せるんだけど、興味ありますか?」って連絡がきて、お二人に話を聞きにラーメン屋さんに行きました。それが今年の8月くらい。なのでR-NABYさんと会ったのは、本当にすごく最近のことです。

KAKKE デビュー曲の制作、リリースまでの道のり

ーーR-NABYさんに初めて会ったときは、どのようなかんじでしたか?

KAKKE: すごく覚えてるのが、初めて会った時にまず「おまえ服装がダサい」って言われたんですよ。(笑) そのあとに、NYCD recordings っていうR-NABYさんのレーベルから自分の曲を出せる、って言うことについていろいろ説明をしてもらって、最終的に「曲を出すかどうか、いまここで決めろ」って。

R-NABY: 結構きつく言ったよな、俺も。やるのかやらないのか、どっちやねんはっきりしろ、ってな。笑

Kaz: 俺はさ、KAKKEはギターでも持って来て「オレの曲一曲聞いてくださいよ」みたいな勢いでくるかと思ってたんだよね。そしたらギターじゃなくてスケボーを持って登場したっていう。話聞きに来ただけでーす、みたいな。ちょっと、おやおや?とは思った。(笑)

KAKKE: いや、状況がそこまでとは分かってなくて。とりあえず話を聞いてから、自分で考えたいと思っていたんです。…でも、R-NABYさんは「いま決めろ」って。(笑)

ーー話を聞くだけのつもりで行って、その場で決めろと言われたら、さすがにびっくりしますよね。(笑)

R-NABY: 俺はユニバーサルミュージックから契約の話が来たとき、即決やったから。契約書をどうするとか細かいことは一切考えずに、即答でイエスの返事をした。俺の中にはもうその時のイメージがあったからさ、俺的にはいま決めた方がいいと思ったんよね。

KAKKE: 結局、こういう機会もなかなか無いと思って、やりたいですと答えました。

ーーそこから、どのようにして楽曲制作に入ったのでしょうか?

Kaz: ラーメン屋で話をした翌週にはもう俺のうちに来て、デモ音源づくりから始めたね。コード進行はKAKKEがすでにつくったものが決まってたから、そのまま使ったけど、音源のプログラミングは素人感があってダサかった(笑)。そこで、俺がプログラミングを作り直す作業をした。誰にも気づかれないようなエフェクトをかけたりもしてるし。

ーーデモ音源づくりから始めて、曲の完成までどのくらいかかったのですか?

Kaz: これも色々あってね。デモ音源が完成して、1時間くらいかけて一度レコーディングをしたんだけれど、結局そのテープは全部ボツになった。

KAKKE: その1回目のレコーディングのあとに、R-NABYさんから「格段にいいスタジオでレコーディングできるよ」って連絡が来たんです。それがGermano Studiosっていうトップクオリティのスタジオだったので、じゃあせっかくだから…ということで、そこで全部取り直しました。

R-NABY: で、最終的に曲が完成したのは、11月の頭やね。

KAKKE: 曲がリリースされたのは、11月18日です。

R-NABY: お前のデビュー日やもんな、もう忘れることはないよな。(笑)

ーーおよそ3ヶ月の試行錯誤を経て、自分の曲が初めてリリースされた時はどんな気持ちでしたか

KAKKE: めっちゃくちゃホッとしました。嬉しい気持ちももちろんあったけど、本当にホッとした。まわりの反応もすごく良かったです。バラードの曲なので、「ムーディーな雰囲気のいい曲だね」と言っていただけたりとか。カバー曲とは全然ちがうなと実感しましたね。

R-NABY: 完全オリジナル曲だし、著作権まで取ってるから、そりゃあ全然ちがうよな。

R-NABY、経営者としての新たな挑戦

ーR-NABYさんは、先日ジャピオンの表紙を飾り、同紙にてインタビュー記事も掲載されましたね。ラーメン屋オーナーになったというお話も出ていましたが、そこに至るまでの経緯について教えていただけますか?

R-NABY: 日本にいた頃から、ラーメン屋ではもう10年以上働いてきたんよ。ラーメン屋のバイトの時給はいいっていうイメージがあったからな。16才のときに洗い物とかチャーシュー作りから始めて、ニューヨーク来てからの7年間もずっとラーメン屋。まずニューヨークで最初に働いたラーメン屋では、店の立ち上げから一年間働いて、次のラーメン屋ではセカンドシェフとして二年間。それからまた別のラーメン屋の立ち上げから一年半やって、そのあともヘッドシェフで別のところ行って、今年の4月にはとあるラーメン屋で寿司のプロデュースもしたな。

ーーニューヨーク7年間のあいだに、ものすごく色々なラーメン屋さんで働いてきたのですね

R-NABY: そうなんよ。で、今回オーナーになったGorin Ramenも、もともと店のいちばん最初の立ち上げの頃から俺がすでに関わってた。店の工事とか、メニューのレシピ作りとかも、全部見てきてた。それでオープンしたのが、今年の1月22日だったんやけど、その後いろいろあって、3月の半ばに急に店を閉めないといけなくなった。ちょうど、コロナの影響でロックダウンが始まった時期やな。

ーーそのタイミングで…かなりきつい状況ですね…。

R-NABY: それからしばらく経って、当時のGorin Ramenの経理さんから連絡がきて「R-NABY さん、作り方全部おぼえてますよね。オーナー株を渡すので、やってくれないですか」って。そのころ、もうみんな日本に帰っちゃってて、ニューヨークに残ってるのが俺だけやったんよな。それに、俺はGorin Ramenのいちばん最初の立ち上げの頃からいたから、全部知ってるわけ。家からも近いし、どうせライブできなくて家にいるだけ暇やし、じゃあやりましょうと。実際、ラーメン屋の経験も長いから、いつか自分でラーメン屋をやりたいとは思ってたしな。で、俺がオーナーになって、6/29日にGorin Ramenを再オープンさせた。

まあ、どっちにしても、興味はあったし、いずれは自分で店を出すための勉強もしたいとは思ってた。経営ってやっぱり、本読むだけじゃ学べなくて、経験しないと分からない。実際に自分で経営して、そこから学んだものの方が吸収しやすいな。赤字黒字の状況もわかるし、無駄なコスト削減の大事さも、やってみて初めてわかることであって、経営学の本からは見えてこない。人件費の使い方もそう。俺も前までは従業員の立場やったから、シフト削られたりしたらなんでやねんってムカついたりしてた。だけど経営者側の立場になってみて、なんで削らないとあかんのか、今ならわかる。店がしんどかったら自分が毎日シフト入らなあかんし、逆に店が繁盛してきたら自分は抜けれて、みんなの給料も上げられる。

でもやっぱり、つねに浮き沈みが激しすぎるな、ニューヨークの飲食店は。しかも6月末に再オープンした当時は、デリバリーしかできなかった。一日の売り上げが90ドルの時もあったよ。

ーー1日で90ドルですか!?

俺が予想してたオーナーの生活とはかけ離れてたな、当然やけど。1日90ドルってどういうこと、俺の給料すらないやん!って。だから一人でやったよ。朝から鍵開けて、ラーメン作って。基本的に1ヶ月間くらいは一人で店まわしたな。で、ちょっとずつ忙しくなってきたら人件費を使えるようになるから、少しずつ人を入れて。自分が予想してたよりもはるかに大変やった。精神的に結構くるよ、これは。

まあでも、最初からみんなが憧れるような経営者になんてなれるわけないよな。たぶん、何十年もかけてそこにたどり着くもんなんやろうけど。今ごろ、店はすごい繁盛してて、Kazさんとキャバクラ行きましょう!とか言ってるところを想像をしてたもんな。現実は厳しかった。(笑)

俺は別にGorin Ramen を愛してるわけじゃなくて、単にお金が好きなんよ。俺がつくった店なわけでもないからな。お金を生むために、今まで10年以上やってきたラーメンというスキルがあるから、それをこの機会に「ラーメン屋経営」という型にはめただけ。。俺が自分で店つくるならそりゃ、R-NABYラーメンとかにするやろ。

ーーお金のため、と完全に割り切って経営しているわけですね。

R-NABY: 音楽やっていく上でも、資金力は大事やからな。少しずつGorin Ramenの経営を通して資金が増えてきたからこそ、今回のKazさんの「Session 1」のEPとか、KAKKEのデビュー曲のリリースとか、仲間のプロジェクトにもお金を使えるようになってったわけやし。そうすると、やっぱ目立つよな。ラッパーとしてのR-NABYだけじゃなくて、経営もして、こうやってプロジェクトも成功させて。それでジャピオンさんの目にも留まったんやろうな、10月に連絡が来て「今回は芸能人扱いなので、表紙やってください」っていう話だったんよ。で、「まあ、しょうがないからやってやるか」みたいな。…って書いといて。(笑)

それぞれの今後について

ーーでは最後にお一人ずつ、これからの活動予定や目標など、今後の展望を教えてください。

Kaz: コロナ禍で活動に制限がある中で、僕らはやれることをやっていると。あきらめずに、自分らにできることってなんだろうって考えて、それがこういった制作と楽曲のリリースだということで我々はやっているので、それがみんなを勇気づけられたらいいな、と。まあ、人によっては煙たがるかもしれないけど。(笑)

R-NABY: それでいうと、俺なんかいちばん煙たがられる対象やからな。笑

Kaz: それから、じつは「Session 2」のリードシングルのレコーディングはもう終わってるんだよね。すでに、次に向けて動き始めてるよ。

KAKKE: 僕は、この記事が出る頃にはもう日本に帰国しているんです。だから日本でも、ニューヨークでの経験を生かして、自分のEPやアルバムを制作して、また世に出して行けるように頑張って行きたいですね。

R-NABY: 俺は、Kazさんも少し言っていたけど、とにかく常に煙たがられることをやり続けたいね。煙たがられるっていうことは、他の人がやってないことに挑戦してるってことやから。もし俺みたいな奴がもう一人いたら、俺だってそいつのことうざいと思うもんな。たぶん俺のことほんまにうざいと思ってて、あわよくば死んでくれと思ってる奴も絶対おると思う(笑)。これからおもしろくなってくで。今回のジャピオンの表紙だけやなくて、そのうち他の雑誌の表紙も全部かざるからな。それくらい、とにかく人がやらないことをどんどんやっていくっていうのを心がけていきたいね。

Kaz: たぶん、特に今って、予定通りには運ばない時期じゃないですか。だから、常に予備プランは用意しておいた方がいいよね。これだ、って一つに決めちゃうと、先に進めなくなっちゃうから。視野を広げてニュートラルな姿勢で生きていけばいいんじゃないかな、と思うね。

R-NABY
1989年、京都生まれ。18歳でラッパーとしての初ステージを踏む。日本での精力的な活動を経てUniversal Music LLCと契約後、アーティストビザを取得し24歳でNYへ渡る。HIPHOPライブコンテストでは4回の優勝を果たし、HOT 97主催イベントへの出演、Def Jam Recordingsプライベートイベントへの出演など幅広く活躍。2017年6月には日本人ラッパーとして初めて、NYのヒップホップクラブ・SOB’sにてミュージックイベントを主催。同年3月にメジャー契約を果たし、7月には『Can’t Stop My Squad』EP盤をリリースしデビュー。その後も『Why So Cute?』『On The Way』など、これまで全5作を発表。2018年1月にはNYCDレコーディングス会社を設立、同年7月には全米放送のさくらラジオにて自身の番組『Can’t Stop My Radio』が放送スタート。
(R-NABYが今年10月に表紙をかざったNY週刊誌ジャピオンに掲載されたインタビュー記事はこちらより)

DJ Kaz Sakuma
1975年、宮城生まれ。高校卒業後、シドニー滞在中に初めてDJを見たことをきっかけに、DJの技術を学び活動を始める。帰国後も仙台を中心にDJとしての活動を続け、三人組ヒップホップユニット・夜光虫を結成しメジャーシングルデビューを果たす。夜光虫の2001年の解散を経てDJとして独立、BBSプロダクションの下でクラブDJとして活動を続ける。2006年にはミックスCDシリーズ・パーティーロッカーズ vol.7 (KSR)に選出され、CDは8000枚を売り上げた。2008年に上京、DJ KOYAに1年10ヶ月ほど師事したのち、2010年12月にNYへ渡る。現在はマンハッタンのクラブでのDJ活動に加え、自宅兼スタジオにて日常的にトラック制作をし、R-NABYやKAKKEをはじめとするミュージックアーティストへ楽曲を提供している。
(DJ Kaz Sakuma が2019年1月からスタートした、DTMでの曲作りをレクチャーするWebサイト『Make Inspiring Beats』はこちらより: https://www.mib-dtm.com/)

KAKKE
1996年、岡山生まれ。日本で英語専門学校を卒業後、2015年から3年間カリフォルニア・サンディエゴのカレッジで音楽のパフォーマンス、基礎知識を勉強。その後、ニューヨークにて音楽系ツアーガイドの仕事をしながらオープンマイク等の音楽活動を開始。2019年秋にアポロシアター「アマチュアナイト」に出場。DJ Kaz Sakuma、R-nabyとの出会いをきっかけに、今年11月にNYCD Recordingsからデビュー。シングル「Skin」と「Koishii」をリリースし、iTunes JP R&B チャート 4位と7位を獲得。

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